プロミスの創業社長である神内良一氏が込めた想いと生まれた意外な理由
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ファイナンシャルプランナー
大学卒業後、多数のメディア編集業務に従事。その後、ファイナンシャルプランナー2級の資格を取得。FPとしての専門知識を活かし、カードローン、FX、不動産、保険など様々な情報におけるメディアの編集・監修業務を行ない、これまで計2000本以上の担当実績を誇る。ローン審査経験者などのインタビューなども多数行ない、専門知識と事実に基づいた信頼性の高い情報発信を心がけている。公式ページ:「ファイナンシャルプランナー村上敬」
プロミスは日本のカードローン業界でも、3本の指に入るほどの大手で、非常に長い歴史を誇っています。
その初代社長となるのが、神内良一です。なぜプロミスを創業したのか、そこには社長の想いがありました。
一時はグレーゾーン金利などを取っていたことで悪い印象もある人によっては抱いているかもしれないプロミスですが、実は素敵な想いで立ち上げられた会社だったのです。
創業社長について、またどのような想い出プロミスが出来上がったのかをここでは見て行きます。
プロミスの創業社長「神内良一氏」の生い立ち
プロミス初代社長の神内良一氏は、1926年に香川県で生まれました。農家に生まれ、太平洋戦争を経験しています。
幼い頃、農作物を地主に半分も納めなければいけないと不満に思い、「いつか大農家になる!」と思っていたそうです。
20歳で農林省に入り、24歳で退職。その後大阪に移住して児童福祉施設の職員を経て、プロミスを創業しました。
プロミスが立ち上がったのは1962年
神内良一氏がプロミスを立ち上げたのは1962年です。その時の名前は「関西金融株式会社」でした。
その後、完済商工株式会社、関西プロミス株式会社と名前を変更しています。
1971年には、プロミス、関西プロミス、東京プロミスという3社に分かれました。
その後、プロミス株式会社と名前を変更したり、合併したりを繰り返していきました。
2012年にSMFGグループに入り、社名を現在のSMBCコンシューマーファイナンスとしました。
プロミスは創業してから進化し続けている
プロミスは創業してから常に進化を遂げています。
時代の変化に合わせて、借り入れ方法や返済方法も変えています。
現在は、あまり人に会いたくないというニーズに答えて、WEB申込みをはじめ、より便利に利用できるようにスマホのアプリを導入し、時間や場所を気にせずに利用できる仕組みを確立しています。
また多くのコンビニと提携し、お金の引き出しや返済も便利におこなえます。
プロミスは業界初のシステムも展開してきた
プロミスは業界初となるシステムもいくつか展開しています。
1963年に始めたプロミスチェックは、斬新なシステムだったそうです。
プロミスチェックは、連帯保証人や担保を必要とせず、約束手形の機能をもつ小切手を用いた新しい金融システムでした。
また、1983年には自動与信システムを導入しました。このシステムが出来て、プロミスは迅速にお金を貸すことができるようになりました。
創業社長のプロミス設立への想い
プロミス創業社長の神内良一氏は、児童福祉施設の職員を経て、消費者金融を立ち上げました。
実は神内氏、独立した時には、児童福祉施設を立ち上げようと思っていました。それは、職員として働いていた時に困窮する現場を見ていたからです。
戦後の混乱もあり、児童福祉に関するお金はとても少ないものでした。それを助けるためにはお金が必要だと感じた神内氏は、初め寄付を募ろうと思ったけど、生活費も稼ぐことが難しいと気付き、金融業の設立を思いつきます。
児童福祉を良くしたいという想いからプロミスは設立された
プロミスは、元々児童福祉を良くしたいという想いから設立されました。
その後、プロミスを成功させた神内氏は、児童福祉の支援を考えました。しかし、時代は変わり、児童福祉に使われるお金も環境も良くなっていました。
そこで、別の方法で支援をすることにします。児童養護施設の建設支援、海外の貧困層を援助する活動をはじめました。
それは、現在でも続き、神内氏自身が亡くなった後も継続してほしいと願っているそうです。
プロミスは創業社長の児童福祉を充実させたいという想いから生まれた
いかがでしたでしょうか。消費者金融というと皆さんどのようなイメージを持っていますか?お金を稼ぐことしか考えていない業者だと思っていませんか?
しかし、プロミスは創業社長の児童福祉を充実させたいという想いで作られています。そして、その想いを実現させるべく、成功してからは数々の支援をおこなっています。
神内氏は1997年に有限会社神内ファーム21を設立し、金融業から農業へシフトチェンジしています。
現在プロミスは別の経営者が運営していますが、創業社長神内氏の想いを継いだ経営を続けていくことでしょう。